クラブの歴史


 
富士カントリークラブは昭和33年8月16日に開場しました。 御殿場市で戦後最初に出来たゴルフクラブです。 富士裾野は、戦前は日本陸軍が、戦後は米軍が使用した訳ですが、初代市長の勝又春一氏は 米軍撤退後の事を考慮して企業誘致、観光事業を進める方針として、リクリエーション施設と、地元とのコミュニケーションの場としてゴルフ場建設が計画されました。 勝又春一市長は石橋湛山氏(S31、総理大臣)に相談され、石橋氏はゴルフ場建設の発起人 を引き受けられて、昭和31年9月に安藤楢六氏(小田急電鉄初代社長)、石井光次郎氏(岸総 理時代の副総理)、瀬川美能留氏(野村證券社長)ら19名の発起人を招集し、昭和32年9月に 「㈱富士カントリー倶楽部」が設立されました。 敷地面積は16万坪、コースは当時アメリカ留学から帰国し本場のゴルフを日本に紹介した赤星 四郎氏の設計により昭和32年2月11日起工式が行われ、次いで12月にレーモンド設計事務所が ハウスの建設に着手しました。 次いで昭和32年10月に「富士カントリークラブ」がゴルフを通して会員の親睦と厚生を図る 目的で設立され、運営・管理の主体をクラブに置くことになりました。 昭和33年4月先ず9ホールで仮オープンし、昭和33年8月16日18ホールが完成し、秩父宮妃殿下を お迎えして鋏入れ式を行い、開場しました。


秩父宮妃鋏入式

秩父宮妃鋏入式

石井JGA会長 始球式

石井JGA会長 始球式



開場式当日 倶楽部役員

開場式当日 倶楽部役員

開場式当日 3番グリーン

開場式当日 3番グリーン



 


 
赤星四郎(1895~1971)■設計者 赤星四郎(1895~1971)

薩摩藩出身の政商、赤星弥之助の四男として生まれる。
米ペンシルベニア大卒。
米スタンダード石油でビジネスを学ぶ。
米国滞在中にゴルフやコース設計理論をマスターし、帰国後トップアマ、設計家として活躍。
弟の六郎と共にゴルフの普及に尽力した。
大正15年のナショナルハンディ表によると、四郎は六郎と共に国内最高のハンディ2となっている。
 

主な赤星四郎の設計コース
程ヶ谷CC(大正12年)
霞ヶ関CC東コース(昭和4年)
函館GC(昭和11年)
熱海GC(昭和14年)
箱根CC(昭和29年)
富士CC(昭和33年)
葉山国際CC(昭和38年)
芥屋GC(昭和39年)
阿蘇GC(昭和41年)


 


 
クラブハウスクラブハウス設計
■アントニン・レーモンド(1888~1976)

1919年に帝国ホテル建設のために来日し、
第二次世界大戦の開戦直前まで在日していた。
終戦後、再度来日し、日本にモダニズム建築の思想を広め、
多大な影響と功績を遺したことで現在も評価され続けている。
1964年には勲三等旭日中授章を受章した。
富士カントリークラブの建物は、
レーモンドが戦後はじめて手掛けたクラブハウスであり、
現存するクラブハウスでは最古のもの。

 

主な作品
霊南坂の自宅(1923)
横浜エリスマン邸(1926)
旧イタリア大使館日光別邸(1928)
聖路加病院(1928)
聖ポール教会(1934)
東京女子大学礼拝堂(1938)

  
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